誕生花、花言葉、僕の言葉

花言葉に纏わる記事を日々更新していきます。

「プリムラ・ポリアンサ」ひたむきな愛

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本日の誕生花「プリムラ・ポリアンサ

 

皆さまいかがお過ごしでしょうか。ようへいです。

 

このブログのテーマはその日の誕生花と、その花言葉。そして花言葉からインスピレーションを得て言葉を自由に綴ること。

 

ここは僕が自分のために設えた言葉の運動場。

 

さて、今日2月4日の誕生花は「プリムラ・ポリアンサ」。花言葉”ひたむきな愛”。

 

今回は自分の過去から文章を紡いでみたいと思います。

 

ひたむきな愛

 

僕は一度離婚しています。

 

元嫁から逆プロポーズをされての恋愛結婚でした。

 

僕は、元嫁のことを果たしてひたむきに愛していたのでしょうか。

 

子宝にも恵まれ、仲睦まじく、幸せに暮らしている最中、病魔に苛まれました。

 

元嫁には大変苦労をかけたと思います。

 

苦しいときは全力でカバーしてくれて、復帰のために全力でサポートしてくれました。

 

 

多摩川で引っ叩かれた話

 

お弁当を作り、多摩川の土手によくピクニックに行っていたのですが、砂利に寝転んで日が落ち始めた空を眺めながら「もう死にたい」と呟いた僕を、思い切り引っ叩いてくれたのを今でも思い出します。

 

嫁も強い人ではなかったのに、歯をくいしばって僕を支えてくれていました。

 

しかし、段々と引きずられるように嫁も心のバランスを崩していき、そしてお互いの脚を引っ張りあうような関係になってしまった。

 

どうにか、絶妙なバランスで成り立っていました。

 

結局は小さな綻びがキッカケで足場が崩れてしまったのだけれど、手を繋いでバランスを取り続ける日々でした。

 

 

純愛の花束 

きっと僕らはひたむきに愛していたし、ひたむきに愛されていました。

 

苦しい日々だったけど、それ以上に幸せな日々でした。

 

今はもう叶わないけれど、あの頃の自分に戻れるならば、このプリムラ・ポリアンサを花束にして嫁にプレゼントしたい。

 

過去の恋愛について今更そんなことを思うのは我ながら気持ち悪いのだけど、これだけ純愛と呼べる愛は無かったと思うから。

 

 

 

しかし、純愛というものは永遠に続くほどロマンチックなものではない。

 

だから、過ぎた純愛は胸のポケットにしまっておこうと思う。

 

元嫁は既に新しい恋愛を楽しんでいます。

 

僕も前を向いて歩いていこうと思います。

 

そして、また新しい純愛を手に入れたら、今度こそプレゼントしようと思います。

 

純愛の花束を。

 

だから、今年は良い男になろうと思う。元嫁のためにも、そして何より自分自身のために。

 

 

「スイセン」自己愛

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本日の誕生花「スイセン

 

皆さまいかがお過ごしでしょうか。最近ダイエットを本格的に始めたようへいです。

 

何故ダイエットをするか。それは魅力的な男性になりたいから。そして女の子とお近付きになりたいから。つまりリアルを充実させたいから。

 

いい歳をしてしょうもないと思われるかもしれません。だがしかし、人間の原動力、その基礎となるのはリビドーエネルギーだと思うのです。

 

…はい、すみません。そんなことはどうでもよいですね。

 

このブログのテーマはその日の誕生花と、その花言葉。そして花言葉からインスピレーションを得て言葉を自由に綴ること。

 

取り留めのない話はやめにして、今日もこの場所「言葉の運動場」で指を動かしてみたいと思います。

 

さて、今日1月21日の誕生花は「スイセン

 

花言葉”自己愛”という言葉からインスピレーションを得て発信してみたいと思います。

 

ネガティブな印象?

”自己愛”。

 

あくまで個人的な感想ではありますが、この言葉からは何だかネガティブな印象を受けます。

 

自己中心的、自己満足、自己顕示、つまり「自己」という言葉が他者より己を優先する、利己的な印象を与えている気がするのです。

 

しかし実際のところは、自己愛というのはあって当然、何も非難される謂れのない自然な”もの”だと思います。

 

自己を愛するからこそ

認められたい、好かれたい、負けたくない。

 

これらも全て自然な感情ですが、根底にあるのは”自己愛”とも言えるのではないでしょうか。認められるために、好かれるために、負けないために、努力する。

 

認められるために仕事することも、好かれるためにオシャレすることも、負けないために練習することも原動力は”自己愛”と言えなくもないと思います。

 

自己愛があるからこそ、この世の色々なことに意味が出てくる。そんな気がします。

 

もっともピュアな愛

そもそも自己愛、つまり自分を愛するということはとてつもなく純粋なことではないでしょうか。

 

人間に限らず、犬や猫、鳥や虫に至るまで、共通する愛。

 

恋人に対する愛、家族に対する愛、子孫に対する愛、それらの多くが”純愛”だと思いますが、歪んだ愛情として現れることもあります。

 

ですが、この”自己愛”だけは、例え歪んでいたとしても透き通っている。それほど純度の高い、美しい愛だと僕は思います。

 

 

 

今回は”自己愛”について思うがままに綴ってみました。

 

考えてみれば、ダイエットをしているというのも”自己愛”から来ているという見方もできますね。まあ”自己愛”とか言いつつ、今の自分自身が好きかと言われれば嫌いなんですけどね。

 

自分を純粋に愛せるような、そんな人になってみたい。

 

これからスクワット50回やるぞー!

「カトレア」成熟した大人の魅力

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本日の誕生花「カトレア」

 

初めまして。

 

フリーライターとして産声をあげたばかりのようへいと申します。

 

このブログでは、更新した日の誕生花、そしてその花言葉を通して感じたことを自由に綴ります。言うなれば、僕の言葉の運動場です。

 

言葉の運動をして、言葉の体力と筋力をつけることが目的ではありますが、どうぞ自由に見て行ってください。くつろいでください。

 

ブログである以上、読んでいただく、ということが何よりの目的であることには違いありませんから。

 

そしてテーマである花言葉について何か思うところがあれば自由にコメントを残していってください。ここの運動場は利用フリーです。

 

 

さて、今日1月13日の誕生花は「カトレア」

花言葉”成熟した大人の魅力”という言葉からインスピレーションを得ようと思います。

 

経験を栄養にしていく

成熟した大人とはなんでしょう。そもそも「大人」とはなんでしょう。

 

僕は現在39歳ですが、自分が大人という自覚が未だにありません。でも現在の自分は10年前の自分とは明らかに違う自分である、という思いはあります。

 

大人という定義はこの際、どうでもよいですね。

 

様々な経験を積んで、自分なりの学びを得て、自分という存在を積み重ねていく。そうしていくうちに、人としてだんだん熟れていく。独特な味わいが出てくる。

 

辛い経験を捻じ曲げてしまえば歪な味わいになることもありそうです。

 

魅力ある人というのは、様々な経験を素直に受け入れ、栄養にしていく。そういったイメージがあります。

 

負の経験も、正の経験も、栄養にしていく。そうして成熟した大人になりたい。

 

美しい皺、醜い皺

歳を重ねれば自然と皺が出てきます。

 

不思議と魅力ある人間の皺は、美しく見えます。逆に卑しい人間の皺は、醜く見えます。生きてきた中で吸収したものを、どのように身体に染み込ませていくのか。

 

それが肌に現れるような気がしています。

 

自分の皺はどのように刻まれていくのかな。歪んでいてもいい。でも、願わくば、可愛らしい歪み方がいい。醜くはなりたくない。

 

目尻の皺が温かい。そんな、成熟した大人になりたい。

 

柔軟剤の香り

柔軟剤の香りってなんだかホッとしますよね。綺麗でふわふわなイメージ。

 

魅力的な人間って、なんだか柔軟剤のような香りがする。お風呂に入ってなくても、歯を磨いてなくても、いい香り。そんなイメージ。

 

いや、もちろん、お風呂も入るし歯も磨きますよ。笑

 

でも、内側から良い匂いを発せられる大人になりたい。目指すは安心の柔軟剤の香り。

 

ふわっと包み込んで安心するような香りがする。そんな成熟した大人になりたい。

 

 

 

とりあえず”成熟した大人”について思うがままに綴ってみました。

 

抽象的でまとまりもほぼありませんね。でもそんなブログもいいかな、と思っています。ここは言葉の運動場。

 

それでも何となく見に来てしまう。そんなブログにしていきたいと思います。